強いAIの実現方法 ~実用化に向けた実践的な作り方~

強いAIの実践的な作り方を検討しています。メイン記事に主張をまとめています。人工知能関係書籍の書評も書いています。

「強いAI・弱いAI」(8) 人工知能関連書

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。今回が最終回。

第9回 強いAIとは何か 中島秀之(はこだて未来大学名誉学長、東京大学特任教授)

 話題が多岐にわたっているため、個別に紹介していく。

 ユクスキュルの環世界について。マダニは、明るいところに移動することで木に登り、酢酸を検知すると落下して、動物の背中に落ちれば温かいところへ移動して血を吸う、というのを繰り返しており、見たいこと知りたいことを状況に応じ能動的に選択している、それを環世界と呼ぶ。中島先生は、人間も同じことをしていると思えるとのこと。
 ここからはブログ筆者の意見だが、身近なところで、蠅等の虫を叩こうとすると上手いことよけられてしまうが、蠅はよけようとしているのではなく、複眼で動きを検知したら動くというプログラムで、結果としてよけているのではないかと思う。人間からすると避けたように見えるが、実際には蠅に思考や意思は無いということだ。センサに反応して行動するということで、ブルックスのサブサンプションアーキテクチャを思い出す。

 ギブソンアフォーダンスについて。アフォーダンスというのは、例えばドアの取っ手は、つかむとドアを開けられるよと人間にアフォードしており、人間はそのアフォードを検知しているという考え方だと筆者は思うが難解。中島先生としては、ユクスキュルの環世界とアフォーダンスは正反対であるとのこと。インタビュアーの鳥海先生も、アフォーダンスの考え方には無理があるとのこと。そして中島先生は、主体と環境との相互作用が一番大事であると述べている。ここは筆者も完全に同意するが、相互作用の話はここで終わっている。

 クオリアについて。生きているという感覚がクオリアであるがこれをどうやって作るのかは分からない。鳥海先生としては、意識を持つということはクオリアがあるということで、「自分が自分であることをAIが理解した時、意識を持って能動的な行動をとれるのではないか」とのこと。

 哲学的ゾンビについて。哲学的ゾンビとは、一見、人と同じように行動できるが、内部的には思考や精神を持っていないという思考実験。中島先生としては、人と同じように行動するには、メカニズムは人間と本質的に同じでないと無理で、意識があるように見えれば意識があるとみなして良いそうだ。

 メタ推論について。何を推論するかを自分で決めるというところまで行った状態。カーナビなら、何度も違う道に行ってしまうとそのうち怒り出すようなもの。中島先生はAIのレベルを3層で考えていて、表引きしか出来ない弱いAI、目的について中身を理解し推論が出来る強いAI、与えられた目的さえも推論の対象とし知的に働くAIだそうだ。第3の段階では、ターミネーターに出てくるスカイネットレベル。

 マルチエージェントについて。脳の中に複数のエージェントがいて、それぞれ独自の評価関数を持っているが、それらを一段高いところで統合するとメタ推論になるかもしれないとのこと。

 多くの話題があったが、以降ソサエティ5.0、生産性向上とかの社会学的な話に話題が移った。

 鳥海先生のまとめでまとめる(しかない)。
 哲学的、概念的な議論になったが、表題の「強いAIとは何か」という答は、人工知能が自分自身を認識し、認識していることを認識するメタ認知を機能として取り入れた時に強いAIになるであろう。つまり、「自分とは何か」ということを考えだした時に、AIは強いAIになるのかもいれない。

 ブログ筆者としては、工学的に強いAIを実現するという目標にあたっては、内容が哲学的な章であった。
 同じ哲学でも、ソシュールのように、意味は差異である、みたいな話であれば工学的に関係してくると思うのだが…(ソシュール言語学ですけど)

「強いAI・弱いAI」(7) 人工知能関連書

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。今回が、第8回ということで、この本のあと残りは1回。

第8回 大人のAI・子どものAI 栗原聡(電気通信大学教授)

 タイトルの大人のAIと子どものAIというのは、現状のAIが、例えばチェス等の大人が得意なものが得意であるが、子どもにも出来る簡単なことが出来ないことを指している。ただ、栗原先生は、AIは子供に出来ることが苦手というよりも、そもそもそういう問題を解くように出来ていないので、別物と考えた方が良いと述べている。すなわち、弱いAIをいくら頑張っても強いAIにはならないし、強いAIは弱いAIの延長線上にはないということである。弱いAIの例としてワトソンがあげられている。
 大人のAIは、弱いAIのことを指していると思うが、身体動作を必要としない、考えたり思考したりする頭脳労働が得意であり、一方子どもは体を使ったノンバーバルなやりとり(非言語コミュニケーション)が得意である。実際の弱いAIの特徴を上手く表しており、良い例えかもしれない。後に出てくるが、子どものAI実現にあたり栗原先生が注目しているのは身体性(=非言語的)である。

 ディープラーニングが子どものAIになるか、という点では出来ないと述べている。子どもは猫を数回見たらネコを覚えるだろうが、ディープラーニングでは莫大なデータを読み込ませて学習させる必要がある。なお、ディープラーニングの利点として、画像という限定された情報でも概念獲得が出来ることをあげている。ネコが出てくるのは、Googleがネコ動画を大量に見せてネコの概念をAIに獲得させたというエピソードが有名だからであろう。

 次に、AIが感情を持つことが出来るかという点について、人間の場合でも、他人から見て感情を持っているなと見えれば感情を持っていると認定できるので、AIにおいても、感情を持っているように振るまえれば良いのではないかとの見解を述べている。これは独特な考え方だと思う。ただ、感情があれば強いAIという訳では無くて、強いAIには自律性とメタレベルの目的が必要であり、無数のタスクの中から最適なタスクをリアルタイムで選択する、それには意識や自我が必要なのではないかとのこと。フレーム問題の事ですね。脳は、この最適なタスクを瞬時に選択する能力が凄いのである。

 以下、画像だけでは無くて音とかも加えたマルチモーダルでのディープラーニングが流行っているが、別のセンサ情報を個別にネットワークに入れているだけなのでマルチモーダルでは無い、コンテンツ生成を行うGenerative Adversarial Netはディープラーニングを逆に動かしているだけ、Q学習も、最適解を探すのであって新たな行動を生み出すわけでは無い、と、しばらく栗原先生からのダメ出しが続く。マルチモーダルについて、複数のセンサを使いましただけでは駄目であるという点はブログ筆者も全面的に賛成である。

 栗原先生が、では強いAIを実現するために何が必要かということでキーワードとしてあげているのが「身体性」である。ブルックスのサブサンプションアーキテクチャとルンバが紹介されている。
 そして、実空間で動作し、もちろん身体を持ち、人とのインタラクションを行う自律システム、実世界で動き回るものを作るのが重要とのことである。

 残念ながら、身体性については30年前からブルックスが提唱し、その概念に基づき実空間でロボットを作る試み(*)が既になされてきたが、上手くいっていない(=強いAIは実現していない)。ブログ筆者の見解は、実空間でロボットを動かしても上手くいかないから、ソフトウェア空間で行うべき、そして外界と身体を複雑に作り込むべきということなので、栗原先生の見解には賛成できない。
 30年前に話が戻っているように思えるし、今まで上手くいかなかった点を分析し、突破口を見出した上で実空間で行うなら価値があるかもしれないが、本記事ではそこまでは分からなかった。

 なお、対談相手の鳥海先生のご発言で気になったものが二つあった。

「強いAIは意識を持ったAIと定義されています」→そんなことはないと思ったが、wikipediaではそのようにも書かれていた。用語の発案者の哲学者サールの趣旨ではその通りかもしれない。意識は十分条件であり、必要条件では無いと思うのだが。

「ルンバのエッセンスが強いAIに結び付くとは(驚きですね)…」→30年前からブルックス、ファイファー(R.Pfeifer教授)が提唱していることだと思う。

*)実空間でロボットを作る試みとして代表的なものは以下である。
ブルックスのMITでの業績、ファイファー教授のチューリッヒ大学での業績、ソニーダイナミクスインテリジェンスとそこに関わられた多くの大学研究者(浅田先生、國吉先生、谷先生、細田先生等)、文部省特定研究領域「移動知」。

「脳・身体性・ロボット 知能の創発をめざして」 人工知能関連書

インテリジェンス・ダイナミクス
「脳・身体性・ロボット 知能の創発をめざして」
土井利忠/藤田雅博/下村秀樹編 2005年 シュプリンガー・フェアラーク東京

 かつて1990年代、日本のロボット研究が世界の最先端であった時代があった。ASIMOの前身のP2の2足歩行は世界に衝撃を与えたし、1999年に発売されたAIBOは約15万台を売り上げ、世界中の大学でAIBOを使った研究が行われていた。
 ひるがえって2018年、日本ロボット学会学術講演会のオープンフォーラムにおいて、「主要な国際会議における日本からの投稿数、論文採択率の低下が進んでいる」現状が議論されている。ロボット研究において日本が存在感を失っているという現状を見据えたものであり、認知工学の第一人者で在られ、かつロボカップを提唱し世界をリードした浅田稔先生がオーガナイザーであった。ガラパゴス化はロボット研究でも進んでいるのである。

 本書は、まだ日本のロボット研究が輝きを失っていなかった時代、ソニーが2004年に「インテリジェンス・ダイナミクス研究所」なる研究機関を立ち上げ、身体性をベースとしてこれまでにない有り方でロボットの知能化を進めようとした際の、当時の一連の成果をまとめたものであり、3冊が上梓されている。

 「インテリジェンス・ダイナミクス」とは関係者の造語であり、ダイナミクスという言葉に「動き」の意味が込められている。ようは環境との相互作用においてロボットの知能化を進めようというもので、ブルックスの唱えた身体性の言葉を置き換えたものだと思う。実際、本書の中でもブルックスは頻繁に言及されている。
 余談だが、2005年からの文部省の特定領域研究「移動知」もまた、言葉を置き換えたものだと考えられるが「SLAMも移動知である」という文言がHPに記載されており、違和感が拭えない。SLAMは計算で解が求まるのだから、古典的AIの延長にあるように思う。

 しかし、ソニーがロボットの知能化研究のために「インテリジェンス・ダイナミクス研究所」を立ち上げる、という行為自体が今では考えられない。ソニーの土井先生、藤田先生はAIBO、およびQRIOを世に送り出した方々であり、ソニーもその言葉をないがしろには出来なかったのか。ただし、2006年、前年にソニーの実権を握ったストリンガーCEOの指示により、AIBOQRIOから撤退するとともに、当該研究所も廃止されている。2004年から2006年の2年間の活動であった。

 インテリジェンスダイナミクスシリーズの第1冊目である本書は2005年にまとめられ、浅田稔先生、BMIの第一人者である川人光男先生、力学系を用いた環境との相互作用による知能化を研究されている谷淳先生、現在もソニーで活動されている藤田先生と、当代第一線の研究者による研究成果が報告されている。15年程も昔の、まだディープラーニングが無い時代の成果であり、特に谷先生の研究は、力学系をキーワードとし、まさしく環境との相互作用が知能の源泉であるという核心をついた研究でありながら難解で、最終的に強いAIへの道が切り開かれたとまでは言えないが、日本が最先端をいっていた時代を感じられる良書だと思う。ブログ筆者としては、ブルックスの身体性の意義を学ぶのに大変参考になった。よって、必読書扱いとした。

 2018年、藤田先生等のご尽力により、実は新型AIBOが発売されている。ソニーがロボット事業から撤退しなかったら日本のロボット研究の凋落は防げたのであろうか、これから復活できるのであろうか、考えさせられる出来事である。少なくとも、とがった技術とセンスで世界に半歩先んじるという、今ではアップルやグーグルに奪われてしまった看板を、ソニーが取り返すチャンスにはなるのではないか。

 なお、藤田先生が担当された本書の第5章において、二足歩行ロボットQRIOアーキテクチャが紹介されているが、ブルックスの提唱した、環境との相互作用で動作する反射型アーキテクチャを下層におき、上層で高度な判断を行うハイブリットアーキテクチャとなっている。ブルックスを誤解している典型的な例ではないかと思う。AIBOQRIOともブルックスの研究を学んで生まれたプロジェクトなのだから、もう少し反射型アーキテクチャを中心にすれば、違う方向で賢く出来たのかもしれない。土井先生は、あまりにQRIOの頭が悪いので「馬鹿だな」と頭をはたいてしまったことがあるそうな。

 ブログ筆者は旧型AIBOはいじったことがあるが、自律したロボットであるとは感じられなかった。新型AIBOでもハイブリットアーキテクチャのままであれば、抜本的な改善は望めないと思うが、旧型時代には無かったクラウド等の技術で、大幅に改善されるかもしれない。作り込み+クラウドで勝負できるのか、やはり作り込みでは駄目なのか、その点でも新型AIBOは興味深い。

「強いAI・弱いAI」(6) 人工知能関連書

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。今回が、第7回ということで、この本のあと残りは2回。

 第7回:全脳アーキテクチャ 汎用人工知能の実現 山川宏(ドワンゴ人工知能研究所所長、全脳アーキテクチャイニシアティブ代表)

 満を持して、全脳アーキテクチャ研究の代表を務められている山川先生である。全脳アーキテクチャイニシアティブは、2013年頃からシンポジウム、ハッカソン、勉強会等の活動を開始し、2018年においても半年に1度のペースで勉強会が開かれている。勉強会のテーマは多岐にわたり、一言では紹介出来ないのでHPを参照されたい。記号創発ロボティクスも入っているなぁ。

 山川先生の目指すところは汎用人工知能(AGI:Artificial General Intelligence)の実現であり、そのための手段として脳の機能をフルに再現していこうという全脳アーキテクチャを推進されている。
 本書では、汎用人工知能と強いAIの違いが話題になっている。汎用人工知能とは、あくまで一般的な問題を人間の知能と同じように解決できるというものだが、本書全体の取りまとめである鳥海先生のイメージする強いAIは、人間と似たように意識があるのではないかということで、山川先生としては、汎用人工知能はあくまで問題解決能力を重視しており、意識が無いと駄目という立場ではないが、意識が無いと汎用人工知能が実現できないということは有り得るかもしれない、とのこと。例えば異なる概念を結び付けるバインディング(死んだ+猫=死んだ猫等)には意識が重要な役割を果たしているかもしれないらしい。

 また、なぜ脳を模範にするのかという点で分かりやすい議論があり、飛行機は鳥を真似ないで飛ぶことを実現したから、知能も脳を真似なくて良いのではないかという良く言われる例えに対しては、唯一汎用人工知能を実現しているシステムが脳であるから、現段階ではそれを真似しない手は無い、とのこと。

 全般的に、脳の具体的な機能をベースにした説明があり、大脳新皮質は学習が遅いが個別の問題解決能力を受け持つ、大脳基底核強化学習能力、小脳は運動制御制御をするが上手く行く回路だけが長期的に残っていく、海馬が短期記憶を圧縮して記憶するなど、が紹介されている。以上は概略だが、細部まで脳の機能を分析し、それを全部組み合わせることで全脳アーキテクチャを完成させる、というイメージであろう。

 ただ、本書を拝見しても、全脳アーキテクチャイニシアチブのHPを読んでも、まだ、こうすれば汎用人工知能は実現できる!という具体的な方法論が確立されている訳では無い状況である。完成目標時期は2030年であり、シンギュラリティのカーツワイルが人間並み知能の実現を2029年としているのと同時期だそうだ。

 ブログ筆者は、脳が複雑なのはマルチエージェントを含む環境が複雑だからであるという身体性の立場を一貫して取っているので、複雑な環境の学習結果であるところの脳を分析するより、複雑な環境を作るべきであるとの意見であるが、目指すところ、すなわち人間並みの知能を工学的に再現したいという思いは同じである。なお、東大の國吉康夫教授の主張である「Body shapes Brain」(身体が脳を形作る)も、「外界」が抜けてはいるがブログ筆者の見解と同じであり、身体性を重視する考えも、それほど異端では無いはず。

 細かい気づきを記載しておく。
 本文中にて、汎用性の無い人工知能アルゴリズムの例としてブルックスのサブサンプションアーキテクチャとそれが搭載されているルンバがあげられている。
 だがしかし、サブサンプションアーキテクチャこそ、リアクション型とも呼ばれ、環境との相互作用により汎用性を獲得することを目指したアルゴリズムであり、古典的な記号論人工知能とは異なるのだから、逆に、汎用性を目指している例としてあげるべきである。ブログ筆者が別文章にまとめているが、サブサンプションアーキテクチャは有名なだけに、誤解も多いのではないか。

「強いAI・弱いAI」(5) 人工知能関連書評

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第6回:脳・身体知から自動運転まで 我妻広明(九州工業大学准教授)

 経歴が凄い方である。NECでPC9801ノートの開発にたずさわれたのち、数理科学専攻で博士号を取得、理化学研究所脳科学の基礎研究を10年、そして九州工業大学で生命工学の研究に従事されているとのこと。

 幅広い知識をもとに、記号接地問題には例外問題とスーパーマン問題?、同じものを見てても主観により解釈が違う等の問題があること、記憶には考えなくても操作を覚えているような手続き記憶とエピソード記憶があり脳の担当場所が違うこと、海馬が時間を圧縮して記憶していること等をあげ、脳が極めて効率的に処理を行っており、現状のAIでは人間の知能は越えられないとしている。
 ドレイファスの人工知能批判である、事象の背景をコンピュータが理解できないことによる限界、コンピュータは気づきが出来ないということも述べており、強いAIの否定派というか、現状では出来ないという立場を取られている。

 表題にあるように身体知もご専門とされており、ブログ筆者は身体知こそ強いAIへの突破口だと考えているが、我妻先生は、身体知は生物にとって拘束条件であり、拘束条件を一つづつ外していったり、拘束条件の中で動きのパターンを泳ぐから陸で歩くに切り替える等したのが生物の進化であるとしている。

 気になったのは、自動運転に必要な技術は「認知-判断ー行動」であると明記されていることで、身体知の創始者であるブルックスが「判断は不要」としたことと相いれない。ブログ筆者も、身体知(=身体性)とは環境との相互作用であり判断は不要、自動運転にも判断は不要、実際、人間も判断は必要とせず車を運転しているから自動運転もそうあるべきという立場である。

 後段では、セマンティック情報というもので、レーンに車が近づきすぎている等、人間が理解できるような状況をセンサ情報を元に分類・記号化してAIに与える、AIはその情報を解析し記号化して出力をする、という案、オントロジーで情報を細かく階層化して判断を行わせる案等が自動運転技術として述べられている。基本的には「判断」をどうするかという問題であり、身体性の立場からするとそもそも「判断」が要らない、という視点では語られていない。また、「判断」をさせる方法論において、ディープラーニングであらゆる状況を判断させようというような動きと比べ、我妻先生の方法が優れるかも分からない。

 「判断」が自動運転で最も難しいとも述べられているが、ある意味、「判断」を不要とすることが最も難しいのかもしれないと思った。

「強いAI・弱いAI」(4) 人工知能関連書評

 「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第5回:羽生善治 人工知能が将棋を指したいと思う日(日本将棋連盟

 言わずと知れた、将棋界を代表する棋士であり、この原稿執筆時は羽生竜王、永世7冠である。NHKのドキュメンタリーでAIの取材を行う等、AIの造詣も深い。本書では唯一人工知能を専門とされていないが、特定のジャンルで超一流を極めたいわば人類最強級の方であり、ご発言はたいへん興味深く、ポイントを突いていると思うし、示唆に富んでいる。

 コンピュータ将棋がプロ棋士より強くなってしまった時代であり、話題はコンピュータ将棋を中心に進む。棋士は、ある手を指す際にそれが良い手だったが悪い手だったか感覚で分かるという。生存本能に基づき、良い手を指すように心がけるのだが、コンピュータ将棋には恐怖心が無いので、人が怖がって指せない手をためらいなく指すそうだ。痛みを感じないゾンビのようだと。だから、コンピュータ将棋は人間らしくない。
 ここからはブログ筆者の見解で、強いAIと人間らしいことが等価なのかは分からないが、生存本能は強いAIに必要なのだと思う。すなわち、外界、身体を用意して、脳に何をインストールするかという時に、欲求、生存本能はまず組み込む必要がある。人がなにかを考えていて答えがひらめく時、答えを知りたいという欲求があるから答を探すのだと思うのだ。

 羽生先生のインタビューに戻り、レンブラントの画風をまねるAIの話になり、ではこのAIには創造性があるかというと否である。芸術には芸術家の人生が必要であり、うわべだけ真似てもだめだと。だから、羽生先生は、AIが社会を持ち、日々の暮らしがそこにあってAIの想いがつのって詠まれた歌なら、それには意味があると言う。ブログ筆者がやりたいことにはマルチエージェントが含まれており、それは社会を持つということなので、こちらも羽生先生のおっしゃっていることと同じ方向にある。

 強いAIが将棋を指したいと思うのかというのも話題になっていた。遊び心を理解すれば、そういうこともあるだろうとのこと。2001年宇宙の旅のHALはチェスを指していたが、やりたくてやっているのかは不明だそうだ。
 また、情報セキュリティ、暗号等の分野が発達するとAIの出番が多くなるだろうが、AIに生殺与奪の権限を与えてしまってはならないともおっしゃっている。慧眼である。 

「人工知能はこうして創られる」(補足) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(補足) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 

 合原先生の最後の文章に気になることが書いてあった。

「ゾウリムシの自発性と人の自由意思とは隔絶したものでは無い」(大沢文夫『「生きものらしさ」をもとめて』より)、確かにそんな気もします、と。

 ゾウリムシの自発性といえば、ブルックスの主張する探知→行動ループであり、知能は環境との相互作用であることが、いわばこのゾウリムシの文章にも示されているのだ。だから、人間のような知性を作るには外界-身体-脳の三位一体のシステムを構築するべきであって、それはソフトウェアでも構わない、というのがブログ筆者の主張である。

 合原先生にも、ゾウリムシの話から、ブルックスの主張に気が付いて頂ければと思う。

「人工知能はこうして創られる」(後編) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(後編) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 第5章は、アメーバ型コンピュータなどのナチュラルコンピューティングについてであり、慶応大学青野真士教授が担当されている。
 アメーバ型コンピュータとは、なんと、粘菌アメーバという実際の巨大単細胞動物に計算をやってもらうというもので、巡回セールスマン問題などが解けてしまうらしい。体を広げようとするけど光刺激があるとその部分だけ縮むことを利用し、上手いこと各光刺激の照射タイミングなどをフィードバック制御していくと、粘菌アメーバの動きが最適解探索になるということだそうです。
 これで思い出すのは、鳥や魚の群れが、単純ルールで形が創発される自律分散システムであるということで、アメーバの、俺は膨らみたいんだという性質と光刺激に弱いという2つの単純ルールからなにかが創発されるというのは、そういうこともありそうだという意味で理解できる。LIFEゲームにも似ている。
 粘菌アメーバのように、自然が計算していることを利用するのを自然知能と呼び人工知能と区別するそうである。ただちにすごい結果、産業、強いAIに結び付くかはなんとも言えないが、斬新な考え方であり、デジタルコンピュータの限界を越えたところで何かを生み出してほしい。
 ただ、チューリングノイマンを源流とするデジタルコンピュータに対し一見計算原理が違うが、例えば人間の脳の原理に近い革命的な知能の原理とかそういうことではないと思う。生物や自然の特性に含まれる単純アルゴリズムを利用した創発であり、粘菌アメーバの計算は恐らくデジタルコンピュータでのシミュレーションで再現できるだろう。その意味で、あるアドレスの値を書き換える、という単純な原理で、ハードウェアの種類に依らずあらゆる計算をしてしまうデジタルコンピュータはあらためて凄いと思う。ハードウェアとソフトウェアの自由度が高い。
 なお、本章でのチューリングマシンの説明は大変分かりやすい。
 ブログ筆者も以前から、滝の水が綺麗なカーブを描いていると、水が軌道を計算しているように見えていた。これも自然知能の発想なのであろう。

 第6章というか、最後は技術解説であり、「ディープラーニングとはなにか」ということであった。第2次AIブームの3層ニューラルネットワーク、リカレントネットワークと比べたディープラーニングの特色などが、100ページ近くにわたって分かりやすく解説されている。シグモイド関数でなく、ディープラーニングで信号消失が起りにくいよう正側は常に増えていくReLU、負側もちょっとは減っていくLReLU等、勉強になった。今後の発展として、アテンション、Generative Adversarial Network(GAN)という最新技術が紹介されているが、残念ながらブログ筆者はまだ理解できていない。
 なお、ブログ筆者のディープラーニングに対する理解は、従来3層以上では解が収束しなかったが、前処理を行うことで収束出来るようになった、特に画像については、人間の脳の一次視野に近い処理をしている、前処理(事前学習)はCNNが有名、ということである。
 今後の発展として、画像生成、言語と意味(!)、強化学習があげられている。画像生成は、レンブラント風の絵を書きましょうみたいなものかな。GANがキーということで、もう少し理解を深めたい。
 言語と意味、については、ブログ筆者が一家言ある分野であり、「意味は外界にある」ということが本書では一言もふれられていない。単語をベクトルで整理し演算を出来るようにしようというWord2Vec、知識ベース概念グラフ等が述べられていた。
 強化学習は、DQNやAlphaGoの話である。AlphaGoがトップ棋士を倒して一定の成果が出たと書いている。ブログ筆者としては、AlphaGoの凄さはむしろ、本来解空間が広いためAIは碁が苦手と言われていたが、実は解空間が広いことでAlphaGoがトップ棋士より圧倒的に強くなったことにあると思う。人間の脳と歴史で探索できていた領域より、はるかに広く深い領域をAlphaGoは探索できたのだ。それだけ碁の空間が広大であり、AlphaGoでないと探索できなかったのだと思う。

「人工知能はこうして創られる」(前編) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(前編) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 前編と後編に分けて記載する。合原一幸教授は、ニューラルコンピュータを専門で研究されており、30年前に「ニューラルコンピュータ」という本を上梓され、「AI研究の行き詰まりを打破」という帯が話題を読んだとのこと。いずれ紹介することがあるかもしれないが、カルフォルニア大学の哲学者チャーチランド著「認知哲学」1997年でも、ニューラルネットが出来たから強いAIも出来る!という論調だった。そういう時代であったのだろう。

 ひるがえって、2018年において合原一幸の論調は、シンギュラリティの全否定である。強いAIの全否定でもある。ニューロンの仕組みが複雑でありアナログ的な要素が強くデジタルでは再現が難しいこと、シンギュラリティの根拠は指数関数的発展だが指数関数的爆発は抑制作用もあること、ムーアの法則もかげりが見えていること、神経網の中心である軸索にはカオス作用がありノイズもあるのでデジタルでは再現できない、等、論拠を並べている。また、ディープランニングではなく、非線形時系列解析技術、少数データによるサンプル技術という、注目して良い技術についても述べられている。ブログ筆者は個人的には、ニューロンのアナログ回路的な仕組みを完全に再現しなければ知性が再現できないかどうかは分からないので、強いAIを否定する論拠にもならないと思う。

 6名の第一人者が1章づつを分担されている。合原先生の担当は第1章だが、第3章の金山氏はIBMでWatson開発にたずさわっておられた方で、クイズ解答という課題に対する具体的な対処方法が解説されており興味深い。東大ロボに関連し世界史の問題にもチャレンジしたという。IBMの思想はコグニクティブコンピューティングというキーワードでまとめられ、医療や経済に知的に役立つ有用なシステムを、大規模な学習、目的に基づいた推論等の要素技術を通し開発していくとのこと。

 第4章は東京大学河野崇先生が「脳型コンピュータの可能性」というタイトルでまとめられており、低電圧で動くニューロンを模擬した回路についてアナログ、デジタル両者の最新動向が解説されている。ニューロインスパイアードシステムとニューロミメティックシステムと分類され、前者が簡易な模擬、後者がひたすら詳細な模擬を目指すというもの。脳の消費電力が20Wというのがどうしようもなく驚異であることが分かる。河野先生の研究室では、シリコンニューロン回路の課題であるアナログ回路素子特性ばらつきについて、特性を個別に調整できる独自手法を開発し、ニューロンの複雑な神経活動(パルスがある程度持続するとかすぐ切れるのがあったりとか)を再現できるとのこと。さらなる省電力化に向けて開発を進めており、今後の成果が期待される。

 全般に、現在の第3次AIブームから一歩離れた視点でまとめられており、タイトルから想像した内容と若干違ったが、勉強になる1冊だと思う。残り2章の内容は後半にまとめる。

「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」 人工知能関連書評

「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」 マレー・シャナハン 2015 NTT出版

 

 原著のタイトルはThe Techological Singularityである。シンギュラリティを一躍有名にしたカーツワイルの著作では無い。AIのこれからの発達に主眼を置き、シンギュラリティを越えて超知能が実現する世の中について述べている。ただし、超知能の具体的な作り方が書かれている訳では無い。ガイダンス的な記述はある。

 人間並みの知性を実現する方法としてまず挙げられるのが「全脳シミュレーション」である。その条件として、脳のマッピングと神経シミュレーションがある。それをまずマウスでやる案が書かれている。マウスレベルの脳であれば現実的に出来そうな気もするので、工学的に着実なステップを提唱しているところが興味深い。神経シミュレーションを実現するハードウェアとしては、GPU,神経形態ハードウェア、量子ドットセルオートマトン、等がある。
 次に来るのが、ロボット工学でAIの身体化を図ること、そして、ブログ著者の主張に非常に近い、バーチャル身体化になる。ロボットでの身体化の手法は、神経シミュレーション側の神経とロボットハードの接合、脳の可塑性によるハードウェアへの適用等があげられる。
 バーチャル身体化は、身体と外界を仮想空間にすることであり、ブログ筆者の主張に近い。ただし、カーツワイルは「本物と見分けがつかないほどの高分解能」を要求しており、ブログ筆者の主張である「記号レベルでの再現」とは大きく異なる。実践的に、強いAIを開発する見込みは、この違いにある。
 導入部分のまとめとして、マウスレベルの脳の実現により、人間、超知能への道が開けるだろうと述べている。

 以降は、超知能、AIと意識等のテーマで、出来るだけエンジニアリング的な発想で議論している。話は飛躍していくが、いちいち論点が具体的であり、西洋人のリアリストな考え方が伝わってくる。十分な時間があれば、自然がまさしく成し遂げたように、力づくで自力で知性を実現できるという指摘も面白い(自然がなしとげた知性とは人間のことである)。

 一番印象に残ったのは、AIの発達が、我々の文明をさらに豊かにすると確信していることだ。インターネットにより生活が大きく変わったように、AIでもさらに便利になっていくだろうという、いわば、楽天的な発想である。もう満足して生活しているから、TVのようなドラスティックな発明は無いだろうという論調は、日本ではここかしこに見られるが、西洋人は、さらなる発達を信じて、前向きに取り組んでいるのだと実感した。