強いAIの実現方法 ~実践的な作り方~

強いAIの実践的な作り方を検討しています。メイン記事に主張をまとめています。人工知能関係書籍の書評も書いています。

「強いAI・弱いAI」(6) 人工知能関連書

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。今回が、第7回ということで、この本のあと残りは2回。

 第7回:全脳アーキテクチャ 汎用人工知能の実現 山川宏(ドワンゴ人工知能研究所所長、全脳アーキテクチャイニシアティブ代表)

 満を持して、全脳アーキテクチャ研究の代表を務められている山川先生である。全脳アーキテクチャイニシアティブは、2013年頃からシンポジウム、ハッカソン、勉強会等の活動を開始し、2018年においても半年に1度のペースで勉強会が開かれている。勉強会のテーマは多岐にわたり、一言では紹介出来ないのでHPを参照されたい。記号創発ロボティクスも入っているなぁ。

 山川先生の目指すところは汎用人工知能(AGI:Artificial General Intelligence)の実現であり、そのための手段として脳の機能をフルに再現していこうという全脳アーキテクチャを推進されている。
 本書では、汎用人工知能と強いAIの違いが話題になっている。汎用人工知能とは、あくまで一般的な問題を人間の知能と同じように解決できるというものだが、本書全体の取りまとめである鳥海先生のイメージする強いAIは、人間と似たように意識があるのではないかということで、山川先生としては、汎用人工知能はあくまで問題解決能力を重視しており、意識が無いと駄目という立場ではないが、意識が無いと汎用人工知能が実現できないということは有り得るかもしれない、とのこと。例えば異なる概念を結び付けるバインディング(死んだ+猫=死んだ猫等)には意識が重要な役割を果たしているかもしれないらしい。

 また、なぜ脳を模範にするのかという点で分かりやすい議論があり、飛行機は鳥を真似ないで飛ぶことを実現したから、知能も脳を真似なくて良いのではないかという良く言われる例えに対しては、唯一汎用人工知能を実現しているシステムが脳であるから、現段階ではそれを真似しない手は無い、とのこと。

 全般的に、脳の具体的な機能をベースにした説明があり、大脳新皮質は学習が遅いが個別の問題解決能力を受け持つ、大脳基底核強化学習能力、小脳は運動制御制御をするが上手く行く回路だけが長期的に残っていく、海馬が短期記憶を圧縮して記憶するなど、が紹介されている。以上は概略だが、細部まで脳の機能を分析し、それを全部組み合わせることで全脳アーキテクチャを完成させる、というイメージであろう。

 ただ、本書を拝見しても、全脳アーキテクチャイニシアチブのHPを読んでも、まだ、こうすれば汎用人工知能は実現できる!という具体的な方法論が確立されている訳では無い状況である。完成目標時期は2030年であり、シンギュラリティのカーツワイルが人間並み知能の実現を2029年としているのと同時期だそうだ。

 ブログ筆者は、脳が複雑なのはマルチエージェントを含む環境が複雑だからであるという身体性の立場を一貫して取っているので、複雑な環境の学習結果であるところの脳を分析するより、複雑な環境を作るべきであるとの意見であるが、目指すところ、すなわち人間並みの知能を工学的に再現したいという思いは同じである。なお、東大の國吉康夫教授の主張である「Body shapes Brain」(身体が脳を形作る)も、「外界」が抜けてはいるがブログ筆者の見解と同じであり、身体性を重視する考えも、それほど異端では無いはず。

 細かい気づきを記載しておく。
 本文中にて、汎用性の無い人工知能アルゴリズムの例としてブルックスのサブサンプションアーキテクチャとそれが搭載されているルンバがあげられている。
 だがしかし、サブサンプションアーキテクチャこそ、リアクション型とも呼ばれ、環境との相互作用により汎用性を獲得することを目指したアルゴリズムであり、古典的な記号論人工知能とは異なるのだから、逆に、汎用性を目指している例としてあげるべきである。ブログ筆者が別文章にまとめているが、サブサンプションアーキテクチャは有名なだけに、誤解も多いのではないか。

「強いAI・弱いAI」(5) 人工知能関連書評

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第6回:脳・身体知から自動運転まで 我妻広明(九州工業大学准教授)

 経歴が凄い方である。NECでPC9801ノートの開発にたずさわれたのち、数理科学専攻で博士号を取得、理化学研究所脳科学の基礎研究を10年、そして九州工業大学で生命工学の研究に従事されているとのこと。

 幅広い知識をもとに、記号接地問題には例外問題とスーパーマン問題?、同じものを見てても主観により解釈が違う等の問題があること、記憶には考えなくても操作を覚えているような手続き記憶とエピソード記憶があり脳の担当場所が違うこと、海馬が時間を圧縮して記憶していること等をあげ、脳が極めて効率的に処理を行っており、現状のAIでは人間の知能は越えられないとしている。
 ドレイファスの人工知能批判である、事象の背景をコンピュータが理解できないことによる限界、コンピュータは気づきが出来ないということも述べており、強いAIの否定派というか、現状では出来ないという立場を取られている。

 表題にあるように身体知もご専門とされており、ブログ筆者は身体知こそ強いAIへの突破口だと考えているが、我妻先生は、身体知は生物にとって拘束条件であり、拘束条件を一つづつ外していったり、拘束条件の中で動きのパターンを泳ぐから陸で歩くに切り替える等したのが生物の進化であるとしている。

 気になったのは、自動運転に必要な技術は「認知-判断ー行動」であると明記されていることで、身体知の創始者であるブルックスが「判断は不要」としたことと相いれない。ブログ筆者も、身体知(=身体性)とは環境との相互作用であり判断は不要、自動運転にも判断は不要、実際、人間も判断は必要とせず車を運転しているから自動運転もそうあるべきという立場である。

 後段では、セマンティック情報というもので、レーンに車が近づきすぎている等、人間が理解できるような状況をセンサ情報を元に分類・記号化してAIに与える、AIはその情報を解析し記号化して出力をする、という案、オントロジーで情報を細かく階層化して判断を行わせる案等が自動運転技術として述べられている。基本的には「判断」をどうするかという問題であり、身体性の立場からするとそもそも「判断」が要らない、という視点では語られていない。また、「判断」をさせる方法論において、ディープラーニングであらゆる状況を判断させようというような動きと比べ、我妻先生の方法が優れるかも分からない。

 「判断」が自動運転で最も難しいとも述べられているが、ある意味、「判断」を不要とすることが最も難しいのかもしれないと思った。

「強いAI・弱いAI」(4) 人工知能関連書評

 「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第5回:羽生善治 人工知能が将棋を指したいと思う日(日本将棋連盟

 言わずと知れた、将棋界を代表する棋士であり、この原稿執筆時は羽生竜王、永世7冠である。NHKのドキュメンタリーでAIの取材を行う等、AIの造詣も深い。本書では唯一人工知能を専門とされていないが、特定のジャンルで超一流を極めたいわば人類最強級の方であり、ご発言はたいへん興味深く、ポイントを突いていると思うし、示唆に富んでいる。

 コンピュータ将棋がプロ棋士より強くなってしまった時代であり、話題はコンピュータ将棋を中心に進む。棋士は、ある手を指す際にそれが良い手だったが悪い手だったか感覚で分かるという。生存本能に基づき、良い手を指すように心がけるのだが、コンピュータ将棋には恐怖心が無いので、人が怖がって指せない手をためらいなく指すそうだ。痛みを感じないゾンビのようだと。だから、コンピュータ将棋は人間らしくない。
 ここからはブログ筆者の見解で、強いAIと人間らしいことが等価なのかは分からないが、生存本能は強いAIに必要なのだと思う。すなわち、外界、身体を用意して、脳に何をインストールするかという時に、欲求、生存本能はまず組み込む必要がある。人がなにかを考えていて答えがひらめく時、答えを知りたいという欲求があるから答を探すのだと思うのだ。

 羽生先生のインタビューに戻り、レンブラントの画風をまねるAIの話になり、ではこのAIには創造性があるかというと否である。芸術には芸術家の人生が必要であり、うわべだけ真似てもだめだと。だから、羽生先生は、AIが社会を持ち、日々の暮らしがそこにあってAIの想いがつのって詠まれた歌なら、それには意味があると言う。ブログ筆者がやりたいことにはマルチエージェントが含まれており、それは社会を持つということなので、こちらも羽生先生のおっしゃっていることと同じ方向にある。

 強いAIが将棋を指したいと思うのかというのも話題になっていた。遊び心を理解すれば、そういうこともあるだろうとのこと。2001年宇宙の旅のHALはチェスを指していたが、やりたくてやっているのかは不明だそうだ。
 また、情報セキュリティ、暗号等の分野が発達するとAIの出番が多くなるだろうが、AIに生殺与奪の権限を与えてしまってはならないともおっしゃっている。慧眼である。 

「人工知能はこうして創られる」(補足) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(補足) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 

 合原先生の最後の文章に気になることが書いてあった。

「ゾウリムシの自発性と人の自由意思とは隔絶したものでは無い」(大沢文夫『「生きものらしさ」をもとめて』より)、確かにそんな気もします、と。

 ゾウリムシの自発性といえば、ブルックスの主張する探知→行動ループであり、知能は環境との相互作用であることが、いわばこのゾウリムシの文章にも示されているのだ。だから、人間のような知性を作るには外界-身体-脳の三位一体のシステムを構築するべきであって、それはソフトウェアでも構わない、というのがブログ筆者の主張である。

 合原先生にも、ゾウリムシの話から、ブルックスの主張に気が付いて頂ければと思う。

「人工知能はこうして創られる」(後編) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(後編) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 第5章は、アメーバ型コンピュータなどのナチュラルコンピューティングについてであり、慶応大学青野真士教授が担当されている。
 アメーバ型コンピュータとは、なんと、粘菌アメーバという実際の巨大単細胞動物に計算をやってもらうというもので、巡回セールスマン問題などが解けてしまうらしい。体を広げようとするけど光刺激があるとその部分だけ縮むことを利用し、上手いこと各光刺激の照射タイミングなどをフィードバック制御していくと、粘菌アメーバの動きが最適解探索になるということだそうです。
 これで思い出すのは、鳥や魚の群れが、単純ルールで形が創発される自律分散システムであるということで、アメーバの、俺は膨らみたいんだという性質と光刺激に弱いという2つの単純ルールからなにかが創発されるというのは、そういうこともありそうだという意味で理解できる。LIFEゲームにも似ている。
 粘菌アメーバのように、自然が計算していることを利用するのを自然知能と呼び人工知能と区別するそうである。ただちにすごい結果、産業、強いAIに結び付くかはなんとも言えないが、斬新な考え方であり、デジタルコンピュータの限界を越えたところで何かを生み出してほしい。
 ただ、チューリングノイマンを源流とするデジタルコンピュータに対し一見計算原理が違うが、例えば人間の脳の原理に近い革命的な知能の原理とかそういうことではないと思う。生物や自然の特性に含まれる単純アルゴリズムを利用した創発であり、粘菌アメーバの計算は恐らくデジタルコンピュータでのシミュレーションで再現できるだろう。その意味で、あるアドレスの値を書き換える、という単純な原理で、ハードウェアの種類に依らずあらゆる計算をしてしまうデジタルコンピュータはあらためて凄いと思う。ハードウェアとソフトウェアの自由度が高い。
 なお、本章でのチューリングマシンの説明は大変分かりやすい。
 ブログ筆者も以前から、滝の水が綺麗なカーブを描いていると、水が軌道を計算しているように見えていた。これも自然知能の発想なのであろう。

 第6章というか、最後は技術解説であり、「ディープラーニングとはなにか」ということであった。第2次AIブームの3層ニューラルネットワーク、リカレントネットワークと比べたディープラーニングの特色などが、100ページ近くにわたって分かりやすく解説されている。シグモイド関数でなく、ディープラーニングで信号消失が起りにくいよう正側は常に増えていくReLU、負側もちょっとは減っていくLReLU等、勉強になった。今後の発展として、アテンション、Generative Adversarial Network(GAN)という最新技術が紹介されているが、残念ながらブログ筆者はまだ理解できていない。
 なお、ブログ筆者のディープラーニングに対する理解は、従来3層以上では解が収束しなかったが、前処理を行うことで収束出来るようになった、特に画像については、人間の脳の一次視野に近い処理をしている、前処理(事前学習)はCNNが有名、ということである。
 今後の発展として、画像生成、言語と意味(!)、強化学習があげられている。画像生成は、レンブラント風の絵を書きましょうみたいなものかな。GANがキーということで、もう少し理解を深めたい。
 言語と意味、については、ブログ筆者が一家言ある分野であり、「意味は外界にある」ということが本書では一言もふれられていない。単語をベクトルで整理し演算を出来るようにしようというWord2Vec、知識ベース概念グラフ等が述べられていた。
 強化学習は、DQNやAlphaGoの話である。AlphaGoがトップ棋士を倒して一定の成果が出たと書いている。ブログ筆者としては、AlphaGoの凄さはむしろ、本来解空間が広いためAIは碁が苦手と言われていたが、実は解空間が広いことでAlphaGoがトップ棋士より圧倒的に強くなったことにあると思う。人間の脳と歴史で探索できていた領域より、はるかに広く深い領域をAlphaGoは探索できたのだ。それだけ碁の空間が広大であり、AlphaGoでないと探索できなかったのだと思う。

「人工知能はこうして創られる」(前編) 人工知能関連書評

人工知能はこうして創られる」(前編) 合原一幸編著 2018年 ウェッジ

 前編と後編に分けて記載する。合原一幸教授は、ニューラルコンピュータを専門で研究されており、30年前に「ニューラルコンピュータ」という本を上梓され、「AI研究の行き詰まりを打破」という帯が話題を読んだとのこと。いずれ紹介することがあるかもしれないが、カルフォルニア大学の哲学者チャーチランド著「認知哲学」1997年でも、ニューラルネットが出来たから強いAIも出来る!という論調だった。そういう時代であったのだろう。

 ひるがえって、2018年において合原一幸の論調は、シンギュラリティの全否定である。強いAIの全否定でもある。ニューロンの仕組みが複雑でありアナログ的な要素が強くデジタルでは再現が難しいこと、シンギュラリティの根拠は指数関数的発展だが指数関数的爆発は抑制作用もあること、ムーアの法則もかげりが見えていること、神経網の中心である軸索にはカオス作用がありノイズもあるのでデジタルでは再現できない、等、論拠を並べている。また、ディープランニングではなく、非線形時系列解析技術、少数データによるサンプル技術という、注目して良い技術についても述べられている。ブログ筆者は個人的には、ニューロンのアナログ回路的な仕組みを完全に再現しなければ知性が再現できないかどうかは分からないので、強いAIを否定する論拠にもならないと思う。

 6名の第一人者が1章づつを分担されている。合原先生の担当は第1章だが、第3章の金山氏はIBMでWatson開発にたずさわっておられた方で、クイズ解答という課題に対する具体的な対処方法が解説されており興味深い。東大ロボに関連し世界史の問題にもチャレンジしたという。IBMの思想はコグニクティブコンピューティングというキーワードでまとめられ、医療や経済に知的に役立つ有用なシステムを、大規模な学習、目的に基づいた推論等の要素技術を通し開発していくとのこと。

 第4章は東京大学河野崇先生が「脳型コンピュータの可能性」というタイトルでまとめられており、低電圧で動くニューロンを模擬した回路についてアナログ、デジタル両者の最新動向が解説されている。ニューロインスパイアードシステムとニューロミメティックシステムと分類され、前者が簡易な模擬、後者がひたすら詳細な模擬を目指すというもの。脳の消費電力が20Wというのがどうしようもなく驚異であることが分かる。河野先生の研究室では、シリコンニューロン回路の課題であるアナログ回路素子特性ばらつきについて、特性を個別に調整できる独自手法を開発し、ニューロンの複雑な神経活動(パルスがある程度持続するとかすぐ切れるのがあったりとか)を再現できるとのこと。さらなる省電力化に向けて開発を進めており、今後の成果が期待される。

 全般に、現在の第3次AIブームから一歩離れた視点でまとめられており、タイトルから想像した内容と若干違ったが、勉強になる1冊だと思う。残り2章の内容は後半にまとめる。

「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」 人工知能関連書評

「シンギュラリティ 人工知能から超知能へ」 マレー・シャナハン 2015 NTT出版

 

 原著のタイトルはThe Techological Singularityである。シンギュラリティを一躍有名にしたカーツワイルの著作では無い。AIのこれからの発達に主眼を置き、シンギュラリティを越えて超知能が実現する世の中について述べている。ただし、超知能の具体的な作り方が書かれている訳では無い。ガイダンス的な記述はある。

 人間並みの知性を実現する方法としてまず挙げられるのが「全脳シミュレーション」である。その条件として、脳のマッピングと神経シミュレーションがある。それをまずマウスでやる案が書かれている。マウスレベルの脳であれば現実的に出来そうな気もするので、工学的に着実なステップを提唱しているところが興味深い。神経シミュレーションを実現するハードウェアとしては、GPU,神経形態ハードウェア、量子ドットセルオートマトン、等がある。
 次に来るのが、ロボット工学でAIの身体化を図ること、そして、ブログ著者の主張に非常に近い、バーチャル身体化になる。ロボットでの身体化の手法は、神経シミュレーション側の神経とロボットハードの接合、脳の可塑性によるハードウェアへの適用等があげられる。
 バーチャル身体化は、身体と外界を仮想空間にすることであり、ブログ筆者の主張に近い。ただし、カーツワイルは「本物と見分けがつかないほどの高分解能」を要求しており、ブログ筆者の主張である「記号レベルでの再現」とは大きく異なる。実践的に、強いAIを開発する見込みは、この違いにある。
 導入部分のまとめとして、マウスレベルの脳の実現により、人間、超知能への道が開けるだろうと述べている。

 以降は、超知能、AIと意識等のテーマで、出来るだけエンジニアリング的な発想で議論している。話は飛躍していくが、いちいち論点が具体的であり、西洋人のリアリストな考え方が伝わってくる。十分な時間があれば、自然がまさしく成し遂げたように、力づくで自力で知性を実現できるという指摘も面白い(自然がなしとげた知性とは人間のことである)。

 一番印象に残ったのは、AIの発達が、我々の文明をさらに豊かにすると確信していることだ。インターネットにより生活が大きく変わったように、AIでもさらに便利になっていくだろうという、いわば、楽天的な発想である。もう満足して生活しているから、TVのようなドラスティックな発明は無いだろうという論調は、日本ではここかしこに見られるが、西洋人は、さらなる発達を信じて、前向きに取り組んでいるのだと実感した。

 

「強いAI・弱いAI」(3) 人工知能関連書評

 「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第4回:汎用人工知能と真の対話エージェント  東中竜一郎(NTTメディアインテリジェンス研究所)

 対話エージェントとは、電話応答等で人と同じように対話するAIである。チューリングテストでは喋らなくても良いが、対話エージェントでは実際に話さなくてはならない。東中氏は一貫して日本における最先端で研究されており、世界に先駆けてWebから表現方法を探してくる、等の成果をあげられている。

 対話エージェントの発達という意味では、予約システムは、予約対象、時間、人数等相手から聞きだすべき情報が限られているので、なんとか使い物に出来るようだ。
 また、エベレストの高さ等、答えが決まっている会話をするファクトイド型と、「前田敦子はどういう人ですか」というような答えが決まっていないノンファクトイド型の対話があり、当然ながらノンファクトイド型の方が難しい。NTTドコモの「しゃべってコンシェル」に使われているとのこと。ブログ筆者は「しゃべってコンシェル」もSiriも使ったことが無いので、技術レベルはあまり分からない。アメリカでgoogleに喋っても、発音が悪くてbirdすら認識してくれなかった経験はある(><)。さらに、雑談向けシステムになると、相手と自然に話を続ける必要があり、さらに難しくなるそうだ。
 自分の発話を無視するとか、相手の感情をマルチモーダルで検知する等、対話ならでは技術課題、まだやれることもある。なお、まだやれること、というのは、ブログ筆者としては、やれば出来そうなことという意味である。

 倫理的な問題をしゃべらないようにすることは、そのようにプログラムすることは出来るが、エージェントが倫理観を持っている訳では無く、設計者の倫理観が反映されているだけで、エージェントが自律的な判断をしていないので、対話感を出すのは難しいと考えていらっしゃるそうだ。

 強いAIの話題に移り、映画「her」のサマンサのように、全く人間と同じように対話が出来るシステムにたどり着くには、「構成論的方法が必要なのでしょうが、何をどうすればよいのか、全く分かりません(笑)」とのことです。ペッパー君のように、生データを取得してどんどん学習していくのは、一つの方法であり、それらしいものは出来るかもいれない。意外だったのは、画像データと比較し対話データがwebに圧倒的に少ないため、学習データが限られるそうだ。

 なお、構成論的方法とは、まさしく本ブログで主張しているアプローチであり、現在行われている構成論的方法はロボットを作って実世界で動かすことだが、本ブログで提案しているのは、外界-身体もソフトウェアで構築することが、「全く分かりません」ではなくて実践的な方法であるということだ。

 類人猿からの進化の過程を再現するべきかもしれないともおっしゃっている。本ブログで提案している手法は人工生命の手法でもあり、まさしく進化の過程に近いとブログ筆者は考えている。

「強いAI・弱いAI」(2) 人工知能関連書評

 「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第3回:強いAIの前に弱いAIでできること 松尾豊(東京大学大学院工学系研究科特任准教授)

 ディープラーニングによる第3次AIブームの、日本における立役者であり、ディープラーニングといえば松尾先生である。

 表題のように、強いAIの前に、まず弱いAIにてビジネスをおこす必要がある、日本でもまだチャンスはあると力説されている。グーグル等の台頭に対し、もっとも危機感を持たれているお一人ではなかろうか。

 ディープラーニングの位置付けも、ディープラーニングだけでは強いAIは出来ないが、知能の全体像において、従来出来なかったパターン認識が出来るようになったため、そのパターン認識の上に記号処理、その上にコミュニケーションという位置づけで、知能における役割を不可欠なものとして評価している。パターン認識と記号処理の組み合わせで、記号接地の状況になることも示唆されている。別の記事でも拝見したが、これからは身体性が重要であると考えられているようだ。

 パターン認識を最下層として、だんだん記号処理に近い処置を重ねていくイメージは、サブサンプションアーキテクチャにインスパイアされたものと考えられる。ブログ筆者自体は、サブサンプションアーキテクチャに対する理解は異なるがそれは別記事で

 細かい内容だが、グーグルがお昼ご飯を研究者に提供している点に注目されていた。第1回でも書いたが、研究者が研究に専念できる環境は米国の方が整っているのかもしれない。また、大学と比較してグーグルも研究機関とも言えるとし、情報系における大学、企業のあり方についても提言をされている。

 私の勤める会社でも講演をされたことがあり、AIのビジネス化を訴えられていた。やはり、強いAIの前に、まだまだやることがある、ということのようだ。 

「強いAI・弱いAI」(1) 人工知能関連書評

 「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第1回:チューリングの手のひらの上で 松原仁(2014-2015 人工知能学会会長)

 別のインタビュー記事を拝見したことがあるが、「強いAI」否定派というか、すぐには出来ないだろうというお考えであった。本書でも、自我をAIに持たせられるかは分からないと述べている。今はAI第3次ブームであり、次の第4次ブームの時ぐらいは出来るかもとも書かれている。第2次ブームの時に強いAIについて色々議論したけど、またやっているね~とか。
 マルチタスクをこなせると意識が芽生えるのかもとか、アルファ碁は強いAIという解釈があるかもとか。対戦相手が大局観を感じたためである。少なくとも、アルファ碁が直観力を持ったとは言えるとのこと。

 あと印象に残ったのは、ディープラーニングはすごいけどマシンパワーはすごいんだよね、というところ。本書に出てくる方は、今のAIブームはマシンパワーのおかげ、ということを書く人が多い気がした。

第2回:次のブレークスルーのために 山田誠二(2017年 人工知能学会会長)

 第2次AIブームの際に、ICOTに関わられたとのこと。「第5世代コンピュータ」のことであろう。
 この方も、強いAIは否定派である。30年は無理と断言されている。ディープラーニングではもちろん無理であるし(賛成です)、数学的な天才によるブレークスルーが必要だと。

 ビックデータの量とコンピュータ性能の向上がすごいとか、ディープラーニングは名前の付け方が上手いとか書かれていて、第1回と同じようなことを書かれているという印象。

 ディープラーニングの生みの親であるヒントン氏についての評価が面白かった。30年前にボルツマンマシンをやっていたヒントンがまだ研究者として現役だったのかと、日本人は研究に淡白でいけない、30年研究一筋に打ち込まないといけないと。

 日本においては、教授業務や学会業務等が多く研究に打ち込みにくいということなのかもしれない。これは、思っている以上に深刻な結果を招いていると思う。