全くAIと関係ない記事を書いてしまった。
NHK FMで、×クラシックという番組があり、いろいろなジャンルとクラシックをかけ合わせようというコンセプトである。
司会者が音楽に詳しすぎるためか、とてもマニアックな選曲が多く、半分はクラシック以外の音楽だったり、喋りも長いので、pureなクラシックファンからは、もっとクラシックを聴きたいという声も(twitterで)ちらほら見かける。
本放送が日曜日の14時、再放送が月曜朝である。
6月の放送で事件があった。ロック×クラシックの第1週で、大槻ケンジ率いる特撮というロックバンドの「ケテルビー」という曲が紹介された。タイトルの「猫かと思って良く見りゃパン、しかも一斤」というのは冒頭の歌詞である。ケテルビーというのは、「ペルシャの市場にて」というクラシックの小曲を作曲した作曲家である。このロックの曲にメロディーが使われているので、番組で紹介となったのであろう。
事件というのは、この曲が圧倒的にいい曲なのだ。並大抵のクラシック曲では追いつかないほど、世界のすべて、あるいは人生の本質を表現していると思う。
表題の歌詞である「猫かと思って良く見りゃパン、しかも一斤」とは、人が、何かについて「こんなはずではなかった」と気づいた時の絶望を表しているのだ。それは、会社人生がこんなはずではなかったとか、恋人や家族に対しこんなはずではなかったと気づいてしまう時かもしれない。2番の歌詞は、「女だと思って良く見りゃタニシ」となっている。
こんなことを表現するのは、クラシック音楽では無理である。マーラーだってここまで絶望を表現してはいないだろう。なので、この曲を聴いたあとにバッハを聴いたとしたら、あなたは世界は美しいだけではないと知った後であり、そんなことを表現できる音楽があるのだと知った上で、「神の音楽」を聴くことになるのだ。
しかも、大槻ケンジは救いも残している。「お前の希望は絶望だったかもしれない。しかし、お前の絶望は希望かもしれないのだ。パンは一斤もあるのだ」と曲は結ばれる。また、歌詞だけではなく、旋律もベースも美しいのがすごい。
私は基本的にクラシック音楽ファンだが、大槻ケンジの世界はドストエフスキーに通ずるものがあり、クラシック音楽とは別のアプローチで人間の在り方に迫るので、大好きである。