強いAIの実現方法 ~実践的な作り方~

強いAIの実践的な作り方を検討しています。メイン記事に主張をまとめています。人工知能関係の書評もあり。なお、今後、任意団体として活動してみたいと考えており、手伝ってみたいという方は是非ご連絡下さい。詳しくは、メイン記事の7を参照下さい。

「強いAI・弱いAI」(5) 人工知能関連書評

「強いAI・弱いAI」 鳥海不二夫著 2017年 丸善出版

 本ブログのテーマである、強いAIについて正面から日本の最新状況を語っている。9人の日本を代表する専門家へのインタビューであり、1回で全部の感想は書き切れないので、1回づつにしてみた。

第6回:脳・身体知から自動運転まで 我妻広明(九州工業大学准教授)

 経歴が凄い方である。NECでPC9801ノートの開発にたずさわれたのち、数理科学専攻で博士号を取得、理化学研究所脳科学の基礎研究を10年、そして九州工業大学で生命工学の研究に従事されているとのこと。

 幅広い知識をもとに、記号接地問題には例外問題とスーパーマン問題?、同じものを見てても主観により解釈が違う等の問題があること、記憶には考えなくても操作を覚えているような手続き記憶とエピソード記憶があり脳の担当場所が違うこと、海馬が時間を圧縮して記憶していること等をあげ、脳が極めて効率的に処理を行っており、現状のAIでは人間の知能は越えられないとしている。
 ドレイファスの人工知能批判である、事象の背景をコンピュータが理解できないことによる限界、コンピュータは気づきが出来ないということも述べており、強いAIの否定派というか、現状では出来ないという立場を取られている。

 表題にあるように身体知もご専門とされており、ブログ筆者は身体知こそ強いAIへの突破口だと考えているが、我妻先生は、身体知は生物にとって拘束条件であり、拘束条件を一つづつ外していったり、拘束条件の中で動きのパターンを泳ぐから陸で歩くに切り替える等したのが生物の進化であるとしている。

 気になったのは、自動運転に必要な技術は「認知-判断ー行動」であると明記されていることで、身体知の創始者であるブルックスが「判断は不要」としたことと相いれない。ブログ筆者も、身体知(=身体性)とは環境との相互作用であり判断は不要、自動運転にも判断は不要、実際、人間も判断は必要とせず車を運転しているから自動運転もそうあるべきという立場である。

 後段では、セマンティック情報というもので、レーンに車が近づきすぎている等、人間が理解できるような状況をセンサ情報を元に分類・記号化してAIに与える、AIはその情報を解析し記号化して出力をする、という案、オントロジーで情報を細かく階層化して判断を行わせる案等が自動運転技術として述べられている。基本的には「判断」をどうするかという問題であり、身体性の立場からするとそもそも「判断」が要らない、という視点では語られていない。また、「判断」をさせる方法論において、ディープラーニングであらゆる状況を判断させようというような動きと比べ、我妻先生の方法が優れるかも分からない。

 「判断」が自動運転で最も難しいとも述べられているが、ある意味、「判断」を不要とすることが最も難しいのかもしれないと思った。