人工生命のプログラムと言えば、最近の意欲的な取り組みはドワンゴのARTILIFEであろう。
キャラクターがいくつももぞもぞ動いている動画しか見たことが無いが、プレゼン資料を見ると、生命の目的をいくつかブレンドし、ブレンドの割合が異なるのが個性、個性に応じて各々の目的の達成度を強化学習していく、という仕組みのようだ。
残念ながら9か月でサービスは終了してしまった。ドワンゴ自身がプレゼンしているように、エンターテイメントとして成立しなかったということだったと思われる。ドワンゴは人工知能へ意欲的に取り組んでいただけに、各エージェントが身体をもって進化させることで、汎用人工知能へ近づくことを夢見たのかもしれない。しかし、人々の心をつかむような生物らしい魅力に辿り着かなった。AIBOの方が、個性があると思った飼い主が多かったという点で、生物らしさという意味ではむしろ成功したと言えそうである。
ARTILIFEに絡んで有名なエピソードが、もぞもぞ動いている生物らしき動画を見て、宮崎駿が「生命への侮辱だ」と怒ったという件だ。これはある意味、本当に生命が作られるかもしれないと宮崎駿が思う程、ドワンゴが創ったクリーチャーが生命らしく振舞っていたのだろう。
「生命への侮辱」と聞いて、宮崎駿に絡み「ナウシカ」単行本7巻の発売当時を思い出した。まだインターネットが企業と大学でしか使われておらず、ブラウザではなくてメールとニュースシステムでネットを楽しんでいた時代、1994年、ブログ筆者が大学4年の時である。単行本を大学生協で購入したのを覚えている。
発売と同時に「ナウシカ」の結末が科学の否定であるという批判がニュースシステムを駆け巡った。もともと「ナウシカ」はアニメージュの連載だったが、7巻は描き下ろしであり、読者は単行本で初めて結末を知ったのだ。ナウシカは、ラスボスである墓所の、腐海を浄化し、既に腐海無しでは生きられなくなっていた人類の体質改善を請け負うという提案を「命への侮辱だ」として一蹴し、墓所を破壊するとともに、腐海と共に生きていくことを選択する。ARTILIFEの一件でその宮崎駿の生命への思いがまだ続いているんだなぁと思い起こした。
さて、エンターテイメントとして成功した人工生命と言えば、たまごっちである。自分はPC用のソフトでしかやっていなかったが、頑張って育てたくなってしまう魅力を持っていた。死んでしまうと復活しないという「生命らしさ」もポイントだったかもしれない。当時のことだから、当然学習機能があるはずもなく、適当にエサをやって面倒をみると成長していく、ということで、第一期だけで4000万個も売れたというから驚きである。AIBOしかりたまごっちしかり、ペット感覚というのが人工生命でエンターテイメントを成功させるこつなのかも。
自分もこれから人工生命プログラムに手をかけることになるが、おなかがすいた等のパラメータを最適化するよう強化学習するだけでは駄目であろうということは分かった。
<参考>ARTILIFEにおける生命の目的の例
以下のような生命の目的の組合せの割合を変えることで、エージェントの個性とする。
各エージェントは、自分の目的達成度が向上するよう強化学習する。
フード食べたがり屋とか、ぼっちになりたいとか…
- たくさんフードを獲得する
- ぼっちになりたい
- 一族で群れたい
- オブジェクトで遊びたい
…
以下のリンクはドワンゴ社のページで、上記はこのリンク先から引用しました。