強いAIの実現方法 ~実用化に向けた実践的な作り方~

強いAIの実践的な作り方を検討しています。メイン記事に主張をまとめています。人工知能関係の書評もあり。なお、今後、任意団体として活動してみたいと考えており、手伝ってみたいという方は是非ご連絡下さい。詳しくは、メイン記事の7を参照下さい。

「哲学入門」を読んだ(前編) 戸田山和久 著

哲学入門
戸田山和久著 2014年 ちくま新書

 GW10連休等もあり、しばらく更新できませんでしたが、落ち着いたので再開します。といいつつ、書評の記事ですが…

 本書は、amazonで自動でお勧めされたので買ってみました。著者は名古屋大学情報科学研究科教授、専攻が科学哲学、ということで、本書の中でも、唯物論から哲学を科学していく、というスタンスを取られており、多少なりとも人工知能に親和性のある哲学書なのではないかと思います。文章は口語体で、ユーモアもあり、難解な内容が分かりやすく解説されています。イラストも面白い。ワンタンを買いに行く中国の部屋ロボットとか…

 全体は序と8章に分かれ、1章意味、2章機能、3章情報、まで読み進めた。以降、表象、目的、自由、道徳、人生の意味、と続く。

 1章「意味」について、以下の文章がまず目をひく。
 「意味とは何かを考えるにあたり、もうちょい小さくて具体的な問いから始めよう。意味を理解するロボットあるいはコンピュータを作るにはどうすれば良いか」
 そうすると、このブログで扱っているのは、小さくて具体的な問いなのか…ということで読み進めた。

 チューリングテストの話について有名な精神科医プログラムのイライザの例が挙げられており(「母が私を叩くことをどう思うか→家族の話をもっと聞かせて下さい」)、一見会話しているようだが、実際には母というキーワードが出たら家族の質問をする等の形式的記号操作であり、イライザは意味を理解していないっぽいが、これは本当に意味を理解していないのか、理解するとはどういうことか、ということで、中国語の部屋の話題になる。ちなみに、イライザはロジャース派という、出来るだけ相槌などで患者の語りを引き出し、患者自身の気づきを促すという精神分析の流派に属しているそうだ。イライザで効果があったという話も聞いたりする…

 中国語の部屋については、著者はサールには否定的な立場であった。中にいてマニュアル操作をしているジョンは意味を理解していないが、部屋を見ている人からは意味を理解しているように見える、という立場である(ブルックスも著書でそう言っていた)。ただ、そこから一歩話を進め、部屋だけでも駄目であるという指摘もあった。すなわち、ワンタンの話題になって、部屋として「ワンタンは美味しいですね~」と回答をしていても、それは会話だけであり、実体を伴ってない。中国語の部屋を搭載したロボットがあり、実際にワンタンを食べることが必要なのではないか、ということでロボットの絵が出てくる。

 さらに、ワンタンと言われてワンタンを食べることで意味を理解していると言われると、掃除機ロボットは一応掃除をしたりするので、掃除機ロボットも意味を理解しているロボットになってしまうかもしれない、ということで、「ロボットに心をもたせる」ことを「意味を分かるロボット」のゴールにするとのこと。そして、著者としての「ロボットに心をもたせる」ための要件は以下の通り。

  • 環境の中で適切な行動をとらなければ自己を存続させられない仕組みになっていること(バッテリーが切れると壊れるとか…)
  • 自分のプログラムを書き換え、変化する環境に適した行動の幅を広げることが出来る
  • うまく自己を存続させたときにだけ、自己を複製できる

 また、この見解はブルックスの見解と重なる、とのこと(そうかな…)

 

 1章の後半は、意味を人間が扱うため、言語が意味を表彰している、という思考の言語仮説にたいし、ミリカンという哲学者の「目的論的意味論」を紹介している。意味は、その「本来の機能」による、というものらしい。著者にならい分かりやすく口語で書くと、「はさみは紙を切るのが本来の機能であり、背中を掻くとかははさみの意味では無い」というようなことだ。思考の言語仮説だと、人間の脳内の処理がコンピュータと同じ統語論的処理になり、表象を記号的に取り扱うことで、人間ですら意味の理解を持ちえない、ということが問題だそうで、さらに、因果意味論という反論では不十分で、目的論的意味論が必要だという議論が繰り広げられている。


 さて、意味とは何か、心を持つロボットを作るにはどうすれば良いかということで、ブログ筆者の根本は「ロボットの心 7つの哲学的物語」が元になっている。すなわち、意味は外界にある、意味を扱うには外界と脳を結ぶ身体が必要、ということである。本書でもバナナがよく出てくるが、バナナの意味はバナナ本体にあり、それ以上でもそれ以下でもないという立場。
 実は、戸田山教授が言う心の要件「自己を存続させられない仕組み」というのは、人間が死すべき定めにある以上、人間と同じような意味理解をするためには必要であるが、死なないエージェントでも外界と身体があれば意味を扱うことは可能であり、「自己を存続させられない仕組み」は必要条件では無い。外界と身体が必要ということの方が、広義でかつ明快、コンパクトな定義だと思う。
 中国語の部屋を装備したロボットというのは、「意味を扱うには身体が必要」ということを言っており、中国語の部屋の議論から発展した結論としては同じような方向ではあるが、ブログ筆者としては「ロボットの心 7つの哲学的物語」を推したい。

 また、ブログ筆者の主張のもう一つの柱である、意味とは言語で定義されるというソシュールの見解が本書には入っていない。思考の言語仮説(脳内で意味は表象として言語処理される)というより、ソシュールによれば、表象と言語、意味と言語は一体なのである。
 そのため、ブログ筆者としては、外界、身体モデルを作るに当たり、それらを言語をベースに生成することで、脳内で扱う表象と、身体を通じた外界モデルの一致が保証された状態を作るのが良いと思う。
 ただ、脳内で表象を記号的に扱えば良いかどうかは分からない。どうしても扱いたくなるが、ブルックスの「表象無き知性」が知能の元であるという主張に反してしまう。


 ここまで1章「意味」の話に終始してしまったが、2章は「機能」について「目的論的意味論」の解説が展開される。3章の「情報」では、シャノンの情報定理を始めとして、工学的な勉強になった。世界は情報であるとか…

 本書を読んで、脳内では世界は表象になっているということを意識する必要性はあらためて感じた。外界を記号で構築するとして、表象無き知性を貫くか、脳内で表象を扱ってみるか、どちらが良いのかは、やってみないと分からない。